2010年11・12月 近江の仁王像に着目!3

 12月3日よっかめ。

 琵琶湖周辺の古寺では必ずといっていいほど「織田信長による焼き討ち・仏教弾圧」の話が出てきます。
 それだけを聞いていると信長がものすごく仏教嫌いな人で、多くのお堂や仏像を破壊した悪い人のようなイメージです。

 ところが信長が晩年拠点にした滋賀県の安土城には総見寺というマイ寺院があり、ちゃっかりと仁王門もあるっていうじゃありませんか!どーゆーこと?!

 信長的には実際は仏教そのものが嫌いだったわけではなく、一向一揆を各地で繰り広げていた一向宗(浄土真宗)が邪魔だったのと、滋賀県の比叡山延暦寺を拠点に一大勢力を誇っていた天台宗の権力が憎かったんだと推測されます。

 と、信長に対する認識が少し変わったところで、その安土城跡に今も残る総見寺の仁王さんを見に行こうというのが四日目のテーマになりました。信長のマイ仁王ですよ。楽しみ。



 まずメインの安土城跡に行く前に近くの観音正寺という西国三十三観音札所のお寺に寄ります。

 長い表参道の石段は石の大きさ・形がまちまちでなかなか登るのが大変です。手すりの下にはことわざがぶら下げられていて、読みながらよっくり進みます。

 ひたすら登るとでっかい露仏の仁王さんが出迎えてくれます。
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 さすがに西国札所だけあって巡礼の団体さんがひっきりなしに参拝に訪れていました。本堂にはわりと新めの御前立ち本尊・千手観音像が鎮座しています。

 観音正寺は聖徳太子によって1400年前に開創されたといわれ古寺中の古寺ですが、やはりここでも信長の兵火が及んでいます…。すぐ近くですからね…。


 西国巡礼地に触れて巡礼者気分を味わったところで、次はメインの安土城跡です。

 安土城は安土山という山の上に建造されていました。ふもとの入り口にて入場料を支払い、杖を借りて登ります。それくらい上まで行くのがキツイ仕組みになっています。簡単に敵に攻め込まれないようにしているのでしょう。
 かつては琵琶湖に接していたそうなので、セキュリティーはこれ以上ないものだったようです。ま、それでも落城しましたが。盛者必衰ですね。。。
 

 信長の仏教弾圧を象徴するような史跡として石段の石に石仏や墓石が多く使われています。これはとても踏めません。

 山頂に天主・本丸跡があるのですが、仁王門が見たかったので山頂への道を素通りして仁王門のある下山方向へ進みました。このあたりでなにやら「ゴロゴロ」と空が鳴っている音が聞こえてきました。今まであんなに晴れてたのに…。


 仁王門にたどり着いたところで風が強くなり雨が降り始め、仁王さんとフォトセッションをしているとみるみる間に嵐になりました!
 吽形の裏でしばし雨宿りをします。もし、先に本丸跡を見に行っていたら、屋根もない場所で今頃エライ目に遭っていたことでしょう…。いい思い出になりました。

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 仁王さんは彫りの深い顔立ちで、体つきも逆三角形などこか外人ぽい仁王さんでした。
 甲賀の地で作られ安土に持ってこられたそうです。信長のことだから気に入って奪い取ってきたんでしょうか。でもカッコイイ仁王さんですね。僕は「嵐の仁王」と呼びます。

 嵐の仁王!

 雨が止んだところで速攻天主跡を見に行き、さっさと下山します。そして車に戻ったとたん大雨になりました。もうツイてるんだかなんだか…。


 さすがにここから先は傘を手放せないと腹をくくって次の仁王さんに会いに行きます。
 たどり着いたのは淨厳院。ここは浄土宗のお寺です。阿弥陀如来以外の仏像は必要としない宗派の浄土宗に立派な仁王さんがいるというので、これは珍しいということでやってきました。

 傘を持って車から降りたとたん・・・すっかり雨が止みました!全く不思議な事が続きます。
 赤い楼門は唐様式でこれまた日本固有の浄土宗とはミスマッチな感じが。

 お寺の歴史はこれまた聖徳太子の時代まで遡ります。もともとここには聖徳太子が開いたお寺がありました。その後近江の豪族であった佐々木六角氏瀬という人が室町時代に天台宗慈恩寺威徳院として寺院を建立、やはり信長によって六角さんもろとも滅ぼされました(笑)仁王像はこの頃からあったようです。

 そして信長が金勝山の淨厳坊にいた応誉明感上人(おうよめいかん)というお坊さんを招きいれ、金勝山慈恩寺淨厳院として再建されました。

 織田家は仏教では法華宗(日蓮宗)の家系ですが、信長は京都で当時勢力を伸ばし他宗との衝突を繰り返していた日蓮宗を疎ましく思っていました。

 ある日安土の城下町で説法をしていた浄土宗僧に日蓮宗信者二人がいちゃもんをつけいざこざを起こしたのをきっかけに、信長は淨厳院に日蓮宗の僧と浄土宗の僧を呼びつけ論争をさせました(安土問答)。この宗教論争はかなり大きな規模だったようです。

 結果浄土宗に軍配があがり(一説には信長が浄土宗を裏で加担したとも言われています)、日蓮側の騒動を起こした張本人二人と負けた僧を処刑したうえ、日蓮宗に他宗との論争を以後しないことを誓わせました。

 そんなわけでここ淨厳院は勝利をおさめた浄土宗の近江の大本山となり、信長は武力を使わずして日蓮勢力を押さえ込むことに成功しました。


 ま、仏像のかっこよさとは関係のない話ですが、こうして歴史に興味を持つのは良いことです。信長の見方がまた変わりました。

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 仁王さんは長身でなかなか迫力があります。


 近江の旅の締めくくりは彦根に移動して北野寺へ。
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 北野天満宮と隣接しているここ北野寺はかつては神社と一体だったのでしょう。仁王さんは小ぶりながら味のある顔立ちでお寺を守護していました。真言宗のお寺です。


 まとめ
 古都京都のお隣滋賀県近江。延暦寺の天台宗と織田信長の歴史が刻まれた、これまた他の県には無い独特の寺院がたくさんありました。次に実家に帰る時はその辺りをふまえて湖南、湖西を回ってみたいです。
 そしていままで大ッ嫌いだった信長のことが少し好きになった旅でした。

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